誰かに恐怖で押さえつけられた結果
時に、恐怖という感情で追い込まれる時がある。
その恐怖心で追い込まれた結果うまくいくこともあれば、ただただ、傷つくだけで終わることもある。
僕自身が思い出せる範囲で恐怖の形で押さえつけられていたなと思うことが3つ
1つ目は前回のブログに書いた、職場でのお話
怖くて何もできなくなったけど、行かなきゃっていう気力だけで動いていた時期
ただ、言葉の暴力が飛んできて、なんか心が死んでいて、傷ついていたけど何も感じない状態。不感症だった。
ただただ傷ついた件
2つ目と3つ目は高校時代
2つ目は部活
うちの部活、生物部っていう完全文化系の部活だったのだけど、運動部並み活動量を誇り、今思えば、毎日の小テストと並行して両立していたのが信じられない。
その頃の部長(同級生)が結構きつい感じの方で、遅刻をするとペナルティがあったり、結構部長など幹部たちの間で部活のことが決まり、決まったことが下っ端に降りてくる感じの部活
何も考えなくていいから楽っちゃ楽なんだけど、結構やらされている感?きつめのルールという形で抑え込まれているイメージかな?
それでも部活自体は楽しかったし、当時の部員たちとは仲が良かったので、そこまで問題ではなかったけど、怖かった経験
3つ目は勉強面
当時の英語の先生が怖かった
予習してこないと怒るし、センター試験まであと○日というカウントダウンして精神的に追い込んでくるし・・・
恐怖で勉強をさせるスタイルだったから、当時は苦手な英語をめちゃくちゃやった
その結果、成績が上がった。
担任だったもので、成績が上がると褒められる
なんかそれがうれしかった記憶が残る
それぞれ、違う形で恐怖心を体験したんだけど、何が正解で何が間違っているとかそういう話ではない気がしていて
目的を遂行するために時に必要なものではあると思う。
だからと言って、人格否定とか人を傷つける形での恐怖の煽り方は、やっぱり間違っていると思っている
何が言いたいかよくわからなくなってきたけど、たぶん恐怖心という鞭を使うのであれば何か飴が必要なんじゃないか?
例えば、ちゃんとしたフォローがある(心のケア)とか・・・
どんなにつらいことがあっても、楽しいことなんかがあれば何とか頑張れたりするって精神論のような話だけど、あるんだよな・・・
だからこそ、つらいことしかないなら、、、逃げた方がいいよね
今回、本当に何の脈絡もない感じだけど思ったことをそのまま書いてみたのでした